2010年



ーー−1/5−ーー シンプルな構造のテーブル


 
昨年の末に納品した、建築設計家からご注文を頂いたテーブル。用途はパソコンを使う事務机とのことだが、いささかリクエストがあった。甲板は85センチ角の正方形、どちらの方向からも使え、しかもアームチェアが下に納まるようにとのことだった。ちなみにアームチェアは、大竹工房のAC93(AC06の旧版) の高さをオプションで2センチ低くしたものを使っておられる。

 四方向から同じように使うとなると、4本脚かあるいは中央に脚が1本の形となる。お客様は4本脚のタイプを選ばれた。今回のケースでは、4本脚の方が理にかなっているという判断だろう。

 通常、4本脚の場合は、幕板と呼ばれる部材を四角に回し、その四隅に脚を取りつける。そして、幕板と甲板を、しかるべき方法で接続する。しかるべきと言うのは、甲板の膨張・収縮を許容できるような仕組みという意味である。幕板は、甲板の反りを止めて、平面を保つ役割も果たす。

 通常はその構造で良いのだが、アームチェアを甲板の下に納めるとなると、幕板を設けることができない。幕板があると、アームに当たってしまうからである。幕板を使わない場合には、脚は甲板の裏面に直付けとなる。直付けの方法にも色々あるが、確実なのは脚の上端にホゾを作り、甲板の裏面に掘ったホゾ穴に差し込んで固定することである。今回もそのようにした。

 一方、椅子のアームを受け入れるためには、脚のスパンを大きくする必要がある。さもないと、アームが脚に当たってしまうからである。それで、脚は甲板の四隅ぎりぎりに取り付けることになった。そのような理由から、画像のような形になった。


 それぞれの脚の、外側の二つの面は、甲板の縁と同一平面になっている。こういう関係を面(ツラ)位置と呼ぶ。さらに、脚の外隅の曲面も、甲板の隅のRと一致している。あえて言うなら、ここら辺が制作者の腕の見せ所である。脚と甲板との接合部には、3ミリほどの溝を回してある。こうすれば、材の膨張・収縮によって生じる微妙な段差(これを目違い、略してメチと呼ぶ)が目立たなくて済む。これはお客様から頂いたアイデアだった。

 材は国産のオニグルミ。甲板は、厚さ40ミリの三枚矧ぎである。脚は75ミリ角だが、適切な材が手持ちに無かったので、練り付けでこしらえた。しかし、目を合わせてあるので、一見しただけではそれと分からない。

 このテーブル、ムクの材を甲板に使いながら、反り止めの機能を果たす部材が無い。これには、木工家としていささかの抵抗があった。材の膨張・収縮や反り、狂いに対して、過剰とも言えるほど気を使うのが木工家の性である。しかし、お客様は、同じような構造のテーブルを以前から使っているとのことで、「これで大丈夫」との意見だった。

 プロの木工家は、木の使い方に関して、とかく既成観念にとらわれて、可能性を狭めてしまうことがある。今回の仕事は、その意味で勉強になった。



ーー−1/12−ーー 結納


 
先日、長女の結納をした。我が家は、結納に対するこだわりは無かったが、先方から是非にと申し込まれた。

 その話が来たとき、正直に言って戸惑った。なにしろ初めての事である。また、我が家はしきたりとか風習に疎いライフスタイルである。「そんなこと必要無いのに」という気持ちがあった。そして何故かしら、ちょっとした反発も心に抱いた。

 ネットで調べてみたら、結納を省略して、両家の対面を食事会などで済ませるケースが増えているという記事が目に付いた。結納に対するマイナスイメージとして、「当人同士よりも家対家の感じが強い」とか、「お金で嫁を手に入れるようで抵抗がある」などの意見が書いてあった。私が感じた反発も、たぶんそのような心境からだったと思う。

 相手の実家は四国にある。その地域では、いまだにこういうしきたりが強いのかも知れないと思った。ちなみに、我が家の周辺地域では、省略されるケースが多いと聞いた。知り合いの中には「面倒だから、辞退した方が良い」と助言する人もいた。ちょっと調べてみたら、この地では「三倍返し」といって、結納金の三倍の額の嫁入り支度をさせる風習があったとか。そのような金銭的な負担の大きさから、結納を省く流れになってきたのかも知れないと思った。

 しばらくの間はどう対応したら良いか戸惑ったが、先方の思いが強いことから、断っては角が立つと考え、応じることにした。考えてみれば、こちらは受ける側である。わざわざ遠路を越えて金品を持ってきて下さるのだから、感謝こそすれ、むげに断る理由など無い。娘が彼氏を通じて得た感触では、先方は気持ちを尽くしたいと考えているだけで、面倒な作法を押し付けるつもりは無いという。それは安心材料であった。

 それでも、当日まではずいぶん気に病んだ。これはひとえに、疑心暗鬼によるものである。一度も会った事が無い相手に対しては、不必要に警戒心を持ってしまう。そういうのは良くない事であろうが、自然な心理ではなかろうか。結納をめぐって、こちらに何か落ち度があり、娘が苦境に追い込まれたりしたら気の毒だ。そういうことを心配するときりが無い。娘に幸せになってもらいたいという、最高レベルの期待があるから、その反対側の心配や怖れも大きいのだ。

 百聞は一見にしかず。結納の式は、心温まる、平穏な時間であった。ご両親が心を込めて準備された品物を見て、感銘を受けた。若い二人の幸せを願うお父様のお話には心を打たれた。そして、不慣れで不躾な我が方が、気まずく寂しい思いをさせられるような空気も無かった。善意と好意と感謝と祈りが、部屋の中に満ち溢れていた。私は、ときとして未知の経験がもたらす、目が覚めるような感激を味わった。

 しきたりや風習は「入れ物」であり、中身は「心」である。中身が上質であれば、良い入れ物はそれを一層引き立たせる。それが、受け継がれていくべき伝統というものなのかも知れない。そんな事を感じながら、幸せな気持ちになった。



ーー−1/19−ーー ソムリエ・ナイフ


 先日ソムリエ・ナイフを購入した。ワインの栓を抜く道具である。

 若いころの私は、一晩に赤白二本のワインを飲んだりしたが、現在はたまに飲む程度である。別にワインの味が良く分かるわけでもない。しかし、最近は安くても美味しいワインが、簡単に手に入るようになったと思う。日本酒の純米酒と同じくらいの単価(体積当たりの値段)で、結構楽しめる。

 これまでは、ワインの栓を抜くのに、スクリュー付きのアーミーナイフか、バンザイ型のワイン・オープナーを使ってきた。

 バンザイ型と言うのは我が家での呼び方であり、一般にはダブル・ハンドル型と言うらしい。スクリューをねじ込んでいくと、2本のハンドルが下から上へ持ち上がってバンザイのような形になる。それを下に押し下げると、逆の動きで栓が抜けるという仕組み。これは労せず確実に抜栓できる道具であるが、キャップシールを切る機能が無い。それに、我が家にあるモノは、作りが荒くてちょっとダサい。ワインに係わる道具は、やはりスマートなモノの方が良い。

 そんなわけで、アーミーナイフを使うことが多かったのだが、この単純な道具は、栓がきついと苦労する。ボトルを両足に挟んで、両手で引っ張って抜くようなこともあった。これではとてもスマートとは言えない。

 この正月のためにストックしておいたワインは、いずれも栓がきつかった。それでアーミーナイフに限界を感じ、ソムリエ・ナイフに手を出すことになった。

 この手の道具は、実用性が半分、オシャレが半分という性格なのだろう。ネットで調べたら、世の中に星の数ほど多くの種類があると書いてあった。値段も千円程度から数万円までの巾がある。私は、さんざん迷った挙げ句、日本製のモノを買うことにした。理由の大きなところは、日本製なら壊れにくいだろうという判断から。ワイン・オープナーには、結構大きな力が掛る。これまでに、おまけで付いてきたようなモノを使っていて、スクリューが切れたり、ハンドルから脱落してしまうトラブルを、何度か経験した。ワインの本場であるフランスやイタリアの品物が、壊れ易い作りであるとは思えないが、製品ムラは懸念材料と言えなくもない。

 さて、注文したソムリエ・ナイフが届いた。早速試してみたくなり、ワインを一本買ってきた。使ってみたら、上手くいかなかった。たまたまそのボトルの栓がきつかったこともあるだろう。四苦八苦しているうちに、ぶざまな恰好で栓は抜けたが、ボトルの底でゴツゴツやったために、テーブルの表面が傷だらけになった。

 これもコツが要るようだ。練習をしなければならないが、その度にワインを買っていては、酒代に割り当てられた生活費が吹っ飛んでしまう。そこで、家の中に転がっていた空き瓶に栓を叩きこんで、練習台にした。抜いて日数が経ったコルクは、一回り大きくなっていて、元のビンに入れるのが難しい。カナヅチで叩いて、やっとのことで入れた。それでも割れることはなかったから、ワインのビンは丈夫なものである。

 何度か練習をしているうちに、要領が分かった。無意識にレバーを上げると、引き抜く方向がヒンジ(ちょうつがい)の方に傾いてしまう。そうなるとまともに抜けなくなる。だから、意識的に栓を垂直に抜くようにする必要がある。そのためには、ヒンジを手前に押すようにすることが肝心だと気が付いた。

 練習で自信を付けたので、また一本買ってきた。










 まずキャップシールを切る。ビンを回さずに切るのが正しいやり方らしい。そのために、一周を二度に分けて切る。手前側を切る時は、ナイフを持ち替えず、手を反転してやるのが格好良い。キャップシールを外したら、スクリューをねじ込む。そして、レバーを引き上げる。今回は栓がきつくもなく、あっけないほど簡単に抜けた。とてもスマートで、良い気分になった。思いを遂げて口にしたワインの味も、格別であった。







ーー−1/26−ーー JALの破綻


 JALが破綻した。国を代表する航空会社が潰れてしまった。ひと昔前だったら、想像もしなかったことである。

 私も、会社勤めをしていたころは、しょっちゅう海外に行ってたので、JALを利用することがしばしばあった。特に帰国の際は、海外の航空会社でなく、JALのチケットが取れると嬉しかったのを思い出す。海外での仕事の疲れが、スチュワーデスの日本語を聞いて癒された。日本へ向かう便の中で、ほとんどの日本人は和食を注文する。やはり懐かしいのである。もっとも私は、ステーキなどの洋食を好んだが。

 経営が立ち行かなくなった理由にはいろいろあるだろうが、「杓子定規文化」と呼ばれる体質が、客離れを招いたという指摘もあると聞いた。スチュワーデスの対応などが、杓子定規で気が利かないと言うのである。それは個々のスチュワーデスの責任ではなく、社内体質の問題だろうが、こんな事例を思い出した。

 米国へ向かうJALの便。離陸からしばらくして、ウイスキーを注文した。ビジネス・クラスだから無料、飲み放題である。ところが、スチュワーデスが持ってきたのは1ショットだけの僅かな量だった。私はそれをグイっと飲み干すと、グラスを持ってギャレー(厨房)へ出向き、「少しの量で何度も頼むのは面倒だから、このグラスになみなみと注いで欲しい」と言った。するとスチュワーデスは申し訳無さそうな顔をして、「一回にお出しする量は規則で決められています。何度でも参りますから、ご面倒でもその都度お申し付け下さい」と答えた。

 別にウイスキーをケチっていたのではないだろう。泥酔する客が出ては困るというのが理由ではないかと想像した。飛行中の機内は気圧が低いので、普段酒に強い人でも、悪酔いすることがある。少しづつ何度も注文する方式にすれば、一気にガバっと飲むことは避けられるし、そのうちに面倒になって諦めることもありうる。そういうことを目論んで、そんな規則が出来たのだと思う。私はおとなしく引き下がった。しかし、ちょっとシラけた気分は残った。

 さて、それに対して、ある時乗った米国の国内線。シカゴからインディアナポリスへ向かう便。

 離陸直後に黒人のスチュワーデスが飲み物の注文を取りに来た。国際線からの乗り継ぎチケットで、酒が無料だったので、私はウイスキーを頼んだ。彼女はコップとボトルを持ってきた。そして「サービスしますわ」といったふうのニコニコ顔で、ドボドボとウイスキーを注いだ。それこそなみなみと。わずか1時間足らずのフライトである。ミルクを飲むようなコップに満たされたウイスキーを前にして、私は顔から血の気が引く思いがした。残してしまっては、彼女の好意を無駄にするようで申し訳ない。それに、グラスの底が見えないと気が済まないという、酒飲みの(下らない)プライドもある。また、「日本人の男は大したことないわ」などと思われたら、沽券にかかわる。私は四苦八苦でコップをあおり、なんとか飛んでいる間に全部飲みほした。

 余談だが、そのスチュワーデスは滑稽だった。離陸前に客席の前に立ち、フライトの説明をするのだが、「当機は○○航空、フライト・ナンバーは、う〜ん」と詰まってしまったのである。搭乗している機のフライト・ナンバーを忘れていたのだ。すると乗客がすかさず「××便!」と助け舟を出した。彼女は憶することもなく「オウ、サンキュー」と言ってにこやかに笑い、「××便です」と言い直した。

 こんなことを日本でやったら、投書されて、会社から罰を食らうのがオチだろうが、少なくとも「杓子定規文化」とは程遠い、ほのぼのとした出来事であった。





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